大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 平成4年(オ)1318号 判決

上告人

田上綱彦

右訴訟代理人弁護士

鎌倉利行

畑良武

山本次郎

檜垣誠次

持田明広

佐竹真之

被上告人

学校法人大阪工大摂南大学

右代表者理事

藤田進

右当事者間の大阪高等裁判所平成二年(ネ)第一六八一号雇用契約関係確認等請求事件について、同裁判所が平成四年四月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鎌倉利行、同畑良武、同山本次郎、同檜垣誠次、同持田明広、同佐竹真之の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄 裁判官 三好達 裁判官 大白勝)

(平成四年(オ)第一三一八号 上告人田上綱彦)

上告代理人鎌倉利行、同畑良武、同山本次郎、同檜垣誠次、同持田明広、同佐竹真之の上告理由

第一点 原判決には、以下の各点において判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反が存在する。

一1 原判決は、雇用契約についての黙示の合意解約論についての法解釈を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

2 すなわち、原判決は、上告人が、被上告人の常務理事の就任を受諾したことによって、被上告人との間の本件雇用契約を解約することに黙示に合意したものと認定判断するに際し、「上告人には、当時、常務理事に就任することによって職員の身分を失うことの認識を有していたことが明らかである」としている。

更に、上告人が職員の身分を失うことの認識を有していたことの理由として、原判決は「第三、争点に対する判断、二、1」において、(一)七月二〇日の理事会では学園の職員を退き役員に専任することが正式に決議されたこと、(二)直ちに上告人にその旨伝えられて、上告人もこれを受諾したこと、(三)後日、同理事会議事録の原案に対し、上告人はその内容に異議をはさんでいないこと、(四)正式の議事録に記名押印していること並びに、(五)上告人が、右理事会に先立つ昭和五七年七月七日、藤田進理事長に面談し、事務局長兼務のまま常務理事に就任したい旨を希望したこと、(六)同年七月二七日に、旧い議事会議事録の写しまで持参して、理事長を訪ね、松前健元常務理事と同様に職員身分を凍結する取り扱いを求めたのに対し、理事長がこれを拒否した、ことを認定している。

3 しかしながら、原判決が認定しているこれらの間接事実は、全て被上告人が立証責任を負う事項であり、かつ、上告人にとっては労働者としての身分を喪失することになる重大な要件事実でもあるから、被上告人がこれを矛盾なく明確に立証した場合以外において裁判所がこの事実を認定するのは、経験則に著しく違背するものであり、理由不備の違法があるものといわなければならない。特に、本件においては、田上家と学園とは学園創設以来六〇有余年にわたり密接かつ重要な関わりをもつなかで、上告人本人も、昭和三六年甲南大学卒業後、当然の如く学園の専任事務職員として採用され、約二四年の長期に亘って学園に勤務してきたという歴史的背景のなかで、上告人は終生学園に留まり、将来にわたって学園の運営と発展に自己の人生を捧げる決意で学園生活を送ってきたこと等を併せ考えるならば、この理は自明のことというべきである。

ところが、前述の(一)七月二〇日の理事会では学園の職員を退き役員に専任することが正式に決議されたこと及び(二)直ちに上告人にその旨伝えられて、上告人もこれを受諾したという間接事実を認定するための証拠方法は、原審において顕出されたものとしては矛盾に満ちかつ極めて不充分な理事長藤田進氏の証言以外に何ら存在しないのである。

そればかりか、かえって、七月二〇日の理事会に出席していた藤田勇理事は、当時理事会において常に録音テープが取られていたにもかかわらず、当日のものに限り、「録音テープ(の存在)は、ちょっと記憶にない」との供述のもとに、その存在を否定している。被上告人は、原審においては関係のない証拠方法を山程法廷に顕出しているのに、何故か今日まで当該録音テープについてだけはその提出を拒否してきているのである。右録音テープには、七月二〇日の理事会の模様が明瞭に残っているはずであり、藤田進理事長が理事会でどのように報告・説明し、決議したのか、また、議決後上告人に対し、決議内容をどのように報告したのかを知る最良かつ唯一の客観的証拠方法であるのに、現在までの審理において未だ提出されていない。このような重要かつ客観的証拠方法が被上告人サイドに存在しているにもかかわらず、それを取調べずに、理事長藤田進氏の証言のみに依拠して判断したのは、経験則に照らして、著しい違法があるというべきである。

更に、藤田進理事長は、七月二〇日の理事会において、「常務理事になれば、田上君は職員の身分はなくなる。役員、つまり特別職であるということを併せて決議」し、その旨を告げたと供述している(昭和六三年五月二七日付本人調書〈証拠略〉)。しかし、上告人は、七月二〇日の理事会において、「職員の身分はなくなる。役員つまり特別職である」との説明を受けていないばかりか、その前後を通じ、一切そのような話を受けていないのである。そもそも、藤田進理事長が使用したという「特別職」なる用語は、これまで学園の制度上も慣行上も、使用されていないものであり、理事会の説明の場で、突然出てくるものではないことからして、このような説明の信憑性は極めて疑わしいといわなければならない。

4 次に、原判決は、上告人は、理事会において学園の職員を退き役員に専任する旨伝えられたところ、これを受諾し、後日、同理事会議事録の原案を示された際にも、その内容に異議をはさまなかった、との認定判断をおこなっている。

上告人は、七月二〇日の理事会において、職員身分喪失の説明を受けていないとするならば、常務理事に就任する旨の決議について直ちにこれを受諾するのは当然のことであり、異議をはさまなかったことの方がむしろ自然なのである。

しかしながら、更に上告人が同理事会議事録の原稿に異議をはさまなかったとの原判決の事実認定は、証拠方法を極めて杜撰な検討しかしていないというべきであり、著しく経験則に違反した認定として、違法であることは明らかである。すなわち、上告人が受け取った理事会議事録の原稿には、理事会での説明以外に「一般の職員ではなく、特別職になる」との表現が付け加わっていたため、右原稿を持参した祐野室長に対し、常務理事昇格に伴う給与面その他待遇面の変更につき、松前氏の例を踏襲し、理事長の決済をとっていた内容をこのように表現したのかと尋ねたところ、祐野室長から「藤田理事長さんがそのように表現しておけとおっしゃったので、こう書いておりますという答えがありました」ということである(上告人調書 平成元年七月一三日付 〈証拠略〉)。

したがって、上告人は、「一般の職員ではなく、特別職になる」との表現につき、祐野室長に確認の上、給与面その他の待遇面だけの変更と考えて、これを了解しているのである。

上告人は、この表現が上告人の職員たる身分の喪失に関するものではなく、給与面その他の待遇面だけの変更を表現したものであるとの判断・確認の上で了解しているのであり、これに対して異議をはさまなかったのではなく、疑問を呈し、自己の考え方に間違いないことを確認しているのである。

5 更に、上告人は理事会議事録の原稿の段階において、「一般の職員ではなく、特別職になる」との表現が給与面その他の待遇面だけの変更をあらわしているとの確認をしたものであるから、その原稿を基に作成された議事録にも当然のことと何らの異議をはさむことなく、押印しているのである。

確かに、「学園の職員ではなく、特別職となる」との表現に微妙に変わっており、多少腑におちない表現ではあったが、過去に例のない捺印拒否や異議保留によって学園に紛争が生じているような印象を外部に与えることは耐え難いことであり、是非ともこのような事態だけは避けたいとの思いのため、敢えて、異議をはさむことなく、押印したのである。

6 加えて原判決は、上告人が昭和五七年七月七日藤田進理事長に面談し、事務局長兼務のまま常務理事に就任したい旨申し入れたことからして、上告人には、当時、常務理事に就任することによって職員の身分を失うことの認識を有していたと認定判断している。

しかしながら、これは、上告人は、前日の「芝苑」の会談において藤田勇理事らに執拗に勧められていた常務理事就任を時期尚早であることを理由に断ってきたが、藤田勇理事の提案を受け入れた方が学園全体のためになると考えたものの、会談後において再考した結果、常務理事就任はやはり時期尚早であると率直に考えて、前日の藤田勇理事の提案を断りにいったものであり、そのように判断するのが合理的であるというべきである。

したがって、原判決が、七月七日の面接での上告人の申し入れから、直ちに上告人が常務理事に就任することによって職員身分を失うことの認識を有しているとするのは、論理に飛躍があり、到底是認できるものではない。このことについては、原判決が「学校法人において、常務理事に就任することにより、職員の身分を失うとの実定法ないし慣習法上の法理はない」と判断している点を併せ考えるならば、尚更明らかであるというべきである。

7 更に、原判決は、上告人が七月二七日松前健氏を常務理事に選出したときの議事録のコピーを理事長に持参したことをもって、上告人が松前氏と同様の取り扱いをして欲しい旨の申し入れをしたものと事実認定し、この事実をもって上告人が身分喪失の認識を有していたとしている。

しかし、七月二七日の上告人と理事長との面談目的は、理事長との夏休みの出勤日程調整、常務理事就任に伴う給与・退職金・私共済等の待遇面での稟議決済の内容の前例説明と確認が主たるものであり、その際に、上告人は、参考資料として松前氏の議事録のコピーを持参して、その前例説明と確認をおこなっただけのことである。

被上告人の役員等報酬規定第四条に、「常勤する役員の報酬は理事長が定める」と定められているので、上告人は、七月二二~二三日頃に祐野秘書室長に対し、常務理事就任に伴う待遇面で理事長の稟議決済をとるように求めたところ、理事長からは変更される手当の部分だけを稟議しておくように言われたとの返事が返ってきたので、上告人は、松前前例の記載がある議事録のコピーを持参したうえで、理事長に説明と確認をしておいた方がよいと考え、理事長を訪れているのである。

したがって、理事長は、それに対し、何ら異議をとなえることなく、上告人から黙ってコピーを受け取り、これを机の引き出しにしまっているのである。このように、コピーを持参した目的は、あくまでも松前氏の前例の説明とこれと同一の処遇であることの確認であり、決して新たな申し入れではないのである。

8 前述のとおり上告人が常務理事に就任することによって職員の身分を失うことの認識を有していたと判断するために認定された右間接事実は、必ずしも上告人の右認識を有することの証左として明確なものではない。むしろ、上告人は、私立学校法においては、職員・役員兼務の原則が後述するように明定されているばかりかそのケースにいとまがないことを認識していたことからして、当時、常務理事に就任すれば職員の身分を失うというようなことの認識を全く有していなかったことは容易に窺い知られるはずである。

ところで、上告人より先に常務理事に専任された者としては、松前健氏と青井忠正氏の二名がいる。松前健氏は常務理事就任により、事務局長を解職となったが、職員たる身分は凍結されたまま残り、常務理事終了後、再び職員たる地位にもどっている。また、青井忠正氏も常務理事就任後も、教授の職にあり、常務理事終了後も、教授の地位は変わらず残っていた。

このように被上告人において、常務理事就任に伴い職員たる身分を喪失した先例はなく、いずれも職員たる身分を保有した状態で常務理事に就任しているのである。これは、私立学校法が明記している職員役員兼務の原則からも当然のことである。

更に、本件裁判提起後、全国の私立学校三三一校を対象として被上告人のおこなったアンケート結果によれば、常務理事の地位を有する者三〇五名のうち、教員の身分を有している者が八九名、事務局長の地位にある者が三〇名、事務局の部長の地位にある者が一〇名、その他事務職員としての地位にある者が一名いるということであった。すなわち、三〇五名の常務理事のうち、一二九名もが職員たる身分を兼務しているというアンケート結果が出ているのである。

このように被上告人のアンケート結果からも明らかなように、常務理事に就任すれば当然職員たる身分を失う、というような慣習法上の法理は存在していないのである。このことについては、原判決においても指摘されているところである。常務理事に就任することによって、職員たる身分を失うことになるためには、特段の事情、すなわち学園と職員との間で雇用契約を終了させる旨の合意が必要となるのであって、被上告人の主張するような当然職員たる身分を失うということには絶対にならないのである。

上告人は、本学園においても、このような私立学校法が明記している職員・役員兼務の原則が当然に適用されているものとの認識のもとで、常務理事就任を承諾しているものであって、職員たる身分を失うことの認識を一片たりとて有していたものではない。

9 以上のことからも明らかなように、原判決が認定判断した雇用契約の黙示の合意解約は、その前提となる上告人の常務理事就任によって職員たる身分を失うとの認識について誤った採証法則を適用した結果、重大な事実誤認を導き、事実認定につき経験則、社会通念に著しく違背した違法が存在すると言わざるを得ない。

二1 原判決が上告人が常務理事に就任することによって職員の身分を失うことになると認定判断したのは、私立学校法が明定する職員・役員兼務の原則に違背するものであり、かつ私立学校法の理念とする私学の自主・独立の精神を無視した違法があると言わざるを得ない。

2 私立学校法は、私立学校の特性に鑑み、その自主性を重んじ、公共性を高めることによって私立学校の健全な発展を図ることを目的として制定されたものであって(私立学校法第一条)、私立学校法に基づいて設立される学校法人は、高度の公益性・公共性を目的とする法人であって、株式会社のごとく自己の名をもって商行為をなすを業とするがごときいわゆる営利を目的とする法人ではないのである。また、学校法人は法定事項を定めた寄付行為をもって所轄官庁の認可を得て設立される財団法人の性質を有するものであるのに対し、株式会社は定款の定めをもって所轄官庁の許認可を要することなく設立され得る社団法人の性質を有するものであり、両者はその目的はじめ法的性質や構造において全く異なるものである。私立学校法の定めによれば、役員として理事五名以上(その内一名は寄付行為の定めるところにより理事長となる)および監事二名以上を置かなければならないとされ(私立学校法第三五条)、学校法人の業務は寄付行為に別段の定めがないときは理事の過半数をもって決するものと定められている(私立学校法第三六条)。また理事は、寄付行為で制限されない限り学校法人の業務について代表権を有するものとされている。また、理事長に対する建議答申機関として評議員会がおかれている(私立学校法第四一条、第四二条、第四三条)。

ところで、理事となる者は私立学校法第三八条第一項において法定されており、第一に私立学校の校長(学長および園長を含む)は労働契約上の地位(職員たる地位)を保有しながら当然理事に就任するものとされ(同条第一項第一号)、第二に評議員のうちから寄付行為の定めにより選任された者が理事となるとされ(同条第一項第二号)、第三にその他寄付行為の定めるところにより選任された者が理事となる(同条第一項第三号)旨の定めがある。そして、同三八条第三項においては、同条第一項第一号および第二号に規定する理事は、校長または評議員の職を退いたときは理事の職を失うものとすると規定しており、理事の地位の存続を職員たる地位および評議員たる地位の存続にかからしめている。すなわち、理事たる地位は校長という職員たる地位ないしは評議員たる地位に従たる地位として位置づけられているのである。

また、私立学校法第四四条第一項は評議員となる者を法定しており、第一に当該学校法人の職員の内から寄付行為の定めるところにより選任された者を評議員とするものとされ(同条第一項第一号)、第二に当該学校法人の設置する私立学校の卒業者で年令二五歳以上の者の内から寄付行為の定めるところにより選任された者も評議員に就任するものとされ(同条第一項第二号)、第三にその他寄付行為の定めるところにより選任された者が評議員になると定められている。そして、同条第二項においては、同条第一項第一号に規定する評議員は、職員の地位を退いた時は評議員の職を失うものとすると定められている。ここにおいても職員たる地位は主たる地位であり、評議員たる地位は従たる地位にあることが明確にされている。私立学校法の叙上の規定からするならば、同法第三八条第一項の定めのごとく労働契約関係にある校長等の一定の職員については当然理事を兼務する原則が確立されており、学校法人と労働契約関係にある職員が私立学校法第四四条第一項第一号により評議員に選任され、さらに私立学校法第三八条第一項第二号により当該評議員が理事に選任されることも私立学校法は予定しているのであって、職員・評議員および理事の三つの地位を兼務することが当然あり得ることを規定している。かかる場合、職員たる地位の喪失は評議員および理事の職を共に喪失させる法定事由とされているのである。

かかる規定を通覧するならば、当該学校法人と理事との間の法律関係を定めた明文規定が存在しないこととあいまって、学校法人においては職員・役員等兼務の原則と可能性(但し、監事は理事または職員とは兼務できない)が管理機構の人事面における機軸となっている。かかる点は、株式会社のそれとは様相を全く異にするものである。これは、私立学校法の目的とする創設者の建学の精神と寄付行為にあらわされている私立学校の特性の尊重、学問の自由を目的とする自主性の尊重、教育研究活動を中心とする目的の公共性・公益性を勘案するならば、当該学校法人と労働契約関係にある職員を評議員や理事(理事長となることも可能)として学校法人の運営に参画させることが私立学校法制定の主旨に適うものとされているからである。

以上に述べたところから、原判決が、上告人は被上告人の常務理事への就任を受諾したことによって被上告人との間の本件雇用契約を解約することを黙示的に合意したものと認定判断したのは、私立学校法に基づく私学制度の根幹を全く理解しない誤った判断であり、明らかに違法である。

三1 次に、原判決には、釈明義務違反・審理不盡の違法ならびに弁論主義に反し被上告人の主張以上の事実認定をした違法がある。

2 すなわち、被上告人は、被上告人の証明責任を負う本件での唯一の法律上の争点である雇用(労働)契約の合意解約について、それは「黙示の合意解約」である、と当初から一貫して主張している。そして、名古屋地方裁判所昭和五〇年九月二二日付判決(加納鉄鋼事件)を援用し、株式会社において従業員である者が取締役に就任すれば、労働契約は解約され従業員としての地位を喪失するとの判断が、学校法人においても適用されるものであるから、その職員が常務理事に就任すれば、特段の合意がない限り、単なる理事に就任したときではなく常務理事に就任したときに(全く滑稽な論理である)、職員たる身分を失うことになると主張しているのである。

つまり、被上告人は、上告人と被上告人との間には、雇用(労働)契約の解約につき、明示の合意は存在していないが、常務理事就任より職員たる身分を喪失したと主張しているのである。

3 ところが、原判決では、昭和五七年七月二〇日の理事会で、上告人を常務理事に選出するとともに、学園の職員を退き役員に専任することが正式に決議され、直ちに上告人にその旨伝えられて、上告人もこれを受諾したと事実認定している。しかしながら、原審の右事実認定は、被上告人が主張する叙上の黙示の合意論を超えた違法なものであり、上告人と被上告人とは上告人が被上告人の職員の身分を失うことについて明示の合意があったと事実認定しているものである。労働契約の解約という労働者にとって最も重大な法律行為の有無の判断につき、釈明義務に違反し、審理を盡くさず、かかる弁論主義に反し被上告人の申し立てない事項について判断することは許されない。

第二点 理由不備ないし理由の齟齬の違法

一 原判決は「第三、争点に対する判断、云々」において「学校法人において、常務理事に就任することにより、職員の身分を失うとの実定法ないし慣習法上の法理はないにしても、前記認定の如く、上告人が被上告人の常務理事に就任するに際し、被上告人の職員としての雇用関係を合意解約することは、有効と解すべきである」と認定している。

二 しかしながら、上告人の主張は、私立学校法人において職員が常務理事に就任すれば職員の身分を失うとの実定法上ないし慣習法上の法理の存在しない場合には、上告人が常務理事就任により職員の身分を失うとの認識を有するはずがなく、したがってこれらの法理の存在の認定なくしては、職員の身分を喪失することについての認識を論じることは、認定判断の方法を違法に誤っているということである。

原判決は、実定法上ないし慣習法上の法理の存否を上告人主張のような職員の身分を失うことの認識の有無の判断資料とするのではなく、合意解約の有効・無効の議論に置きかえているのである。確かに、実定法上ないし慣習法上の法理の存在がなくても、職員たる身分を失うとの合意も認識もあり得るが、これは上告人において主張しているところとは違う議論であり、上告人の主張に答えるものではない。

三 被上告人の主張は、上告人が常務理事に就任すれば、当然に学園の職員たる身分を失うというものであり、その主張を裏付ける間接事実として、被上告人は本件裁判提起後、全国の私立学校三三一校を対象にアンケートをおこない、また、加納鉄鋼事件を引用して、株式会社に雇用されている従業員が同会社の取締役に就任した場合には、当然に従業員たる地位を失うという法律関係の変動と同等視すべきであると述べているのである。

このような、被上告人の主張に対する認定判断をするならば、当然に学校法人においても、常務理事に就任することによって職員の身分を失うことの実定法上ないし慣習法上の法理の存否について議論すべきであり、右法理の存在が認められてはじめて被上告人の主張に対し、原判決が適法に認定判断したことになり得るのである。

また、上告人の主張に対しても正しく判断したことになるのである。

しかるに、原判決はこのような認定判断をすることなく、直ちに、職員の身分を失うことの認識を有していたと判断したのは、理由不備ないし理由齟齬の違法があるというべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例